臨床検査

じぇには臨床検査技師としてどのように歩んできたのか?僕が歩んできた技師としての半生です⑤30代中盤、認定資格に再び挑戦!

みなさんこんにちは!

じぇにです

アフィリを始めて約半年がたって、

ついに『脱サラ』しました!!

①②に引き続き少し自分の技師人生を振り返ってみますね


これは先日退職で以前の住んでたところに行ったついでに
大切な友人と思い出に山にロープウェイで登りそこから見た景色ですね!

ベンチに横たわり景色を眺めるのは最高でしたね!
しかも平日で貸切り!!

30代半ば自分の将来を見据えて2個目の認定技師に挑戦。近隣に指導者のいない中自分で切り開きました。

30代前半から血液検査の担当として頑張っていました。

まぁ悪魔のような状態で働いてたんですけどね。

  • 血液担当のベテラン退職
  • 他のセクションはバックアップ体制整ってるのに血液は人を回してくれない。サポートの中途半端のひとばっかりとかベテランの使えない技師や上司と組まされる。
  • 人がいないセクションなのに何故か他の検体検査数セクションと病理のサポートまで任せられる
  • 病理解剖も僕の仕事
  • マルクも一人で採取から鏡検(顕微鏡で骨髄の細胞診るのよ)
  • ひとりで本やネットで検索して猛勉強

これ相当にヤバいですよね?

朝は始業1時間以上前に出勤

終業は毎日20時前後

解剖は夜中になるのも日常茶飯事

夜間休日問わず鳴る携帯

新人の指導や教育プログラムの作成もしてました。

この頃、目を酷使しすぎて

コンタクトレンズ出来なくなっちゃたんですよね。

そこから解剖以外は眼鏡生活。

解剖はゴーグルしたり汗も凄くかくので数時間だけコンタクトでした。

時間外労働は月に四捨五入して100時間くらいかな?

残業少しカットされてましたが

給料は良かったですね笑

ただ、慢性的に疲れが抜けない状況でしたし

業務は教えてくれないので自分で学んだり、外に勉強に行ってましたね。

 

今考えたら良く死ななかったなーって思います笑

 

『じぇにくんはこれはどう解釈したらいいの?』

当時の先輩や技師長によく聞かれましたね。

僕が聞きたいですよw

技術や学術の指導って先輩中心にしますよね?

技術や学術の中心は年長者の仕事と思いますが

そこも一緒に回ってきちゃったんですね(〃艸〃)

 

指導者がいない中認定血液検査技師に挑戦

  • こんな職場にいてはいつか潰れてしまう
  • 自分の未来へのキャリア
  • 今後、もし後世が育って立て直せたら指導や臨床検査技師の院内の価値があがっていく

 

そんな思いで指導者いない中で僕の無謀な

『認定血液検査技師』

への挑戦が始まりました

勉強会に積極的に参加

技師会主催の勉強会やメーカー主催の勉強会に積極的に参加しました。

行けるのは基本全部参加です。

そのあとの飲み会にももちろん参加

これが功を奏して著名な医師や技師にもかわいがってもらって、のちに認定取得に大きく貢献していきました。

メーカーさんにも色々良くしてもらって様々な学術的なサポートもしてもらえました。

 

自習頑張りました

わからない事は極力翌日に持ち越さないをモットーに

自分のPCも持ち込んでわからない事は調べたり

顕微鏡も診まくりました。

帰宅後も夜中まで勉強してましたね。

酒飲みながらでしたけど笑

自己投資は必須です

勉強会参加ってどれくらいかかると思いますか?

僕は地方に住んでたので

地域の勉強会は交通費入れて500円くらいですが

都市まで行くと

この場合札幌ですね

参加費と交通費、交際費なんかいれて一回にだいたい

3万円以上

飛行機に乗って試験受けに行ったり

全国学会に参加して単位撮ると

15万円くらい

他にも認定取るために書籍購入などでも数万円自腹ですね笑

 

中略して
指導者いない中での専門の認定取得の独学はかなり困難でした。

どうれくらいかかったの?

僕は一発合格できなかったので
試験は3回
日程は2日間の試験でしたので
交通費宿泊費も相当なもので

他に、申請用の単位取得

学会や勉強会の参加

学会発表

かなりの労力とコストがかかりましたね。

総額でだいたい

 

車一台分ですねー

 

そこまで本気で自分の人生やキャリア

後世の育成や病院のため

地域のために頑張ってきました。

また次回に続きますね!

 

 

 

僕たちと一緒に頑張ってみたい

話だけでも聞いてみたい方がいましたら

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じぇに
アラフォーの医療職。 ゴルフにドライブ、焼肉とラーメンが好きです。